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参考書を捨て、語学をマスターするとは?

参考書を捨てる、非常識な戦略・学習法です。
危険な、学習法です。

チョッと考えてみてください。
語学の達人、シュリーマンの時代、よい参考書が今みたいにありましたか?
昔はよかった、先人は偉人だった・・・。

などというつもりは毛頭ございません。
私は効率第一主義ですから、根性・気合で何でも乗り切れるという
考え方は私にはまったくありません。

ここで私が言いたいこと、それは、
「よい参考書がなくても語学をマスターした人たちがいた。」
という、事実です。

これを考えると、「参考書は要らない!」という私の主張が
見えてくると思います。

すみません、正確に言いますと、

参考書は要ります。ですが、あるだけではダメです。
大切なのは...

続きはこちら!


文法書、読解のテキスト。

そう、大切なのは、

「何を学ぶべきかを知っていること」

これが必要なことです。
これがわかっていたから、先人の語学マスターたちは、
少ない情報の中から(もちろん参考書なんて今みたいにわかりやすくありませんでしたし、
参考書の数なんてたかが知れていたと思います。)
「学ぶべきこと」をしっかり学んでいた、この事実に着目すべきです。

では、何を学ぶべきか?
シュリーマンに習ってみましょう。

学ぶべきこと、それは、

・「文章と会話」

です。自分の選んだ参考書、ジーっと眺めて文法の解説ばかり
読んでいませんか?それも大切です。
ただ、一度理解できたら、あとは、例文なり用例なり読解テキストなり、
会話集なり、その表現が使われている

・「文章、会話」

をそのまま飲み込んで何度も反復し、暗記してしまいましょう。
偉大な先人は、しっかり反復し、暗記していました。
それで、自分の血肉としていったのです。

理解よりも習慣化、無意識化が必要なのが、語学・言語学習です。
SPY式ではなにより、「実践、実戦的な」語学習得を目指します。

しっかりと、この、「学ぶべきこと」に集中し、語学学習を進めて
見てくださいね!

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